尚、見えない場合は
解像度を 1080p(HD)
↓
720p(HD)
↓
480p
↓
360p
↓
変更して下さい。
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今年も恒例の美波町阿部の宮内神社祭に行ってきました。
3年連続して撮影しました。いつも感じることは昔ながらの田舎の祭
りの良さが残っていて、お爺さん、お婆さん、帰郷した息子夫婦、特に
子供達の屈託のない明るい笑顔が素敵で都会にはない物があります。
自分自身に振り返ってみると
昔、屋台に乗るために太鼓の練習をして飴をもらったり、本番では
近所の人からノートとか鉛筆をもらったり、今思えば懐かしい思い出
です。
祭りは常日頃の近所付き合いの中で出来るのだと思いました。
今回は、瀬戸さんが当家を勤められ、また祭りの総代して大変忙しか
ったと思います、お疲れ様でした。
また今年も泊めていただき、ご馳走を頂きありがとうございました。
朝飯も、奥様に作っていただき感謝にたえません。
今後とも、瀬戸様はじめ阿部の皆様を機会あるごとに撮りに行きます
ので宜しくお願い致します。
山本明仁
第 2 部
尚・このホームページ記載の写真は、カメラマン
山ちゃんが撮影したものです。
(解像度1920×1080追加しました)
美波町阿部の紹介
あぶのひとびと
秋 祭 り
山ちゃん一言
宮内神社祭
第 1 部
平成22年 9月25日〜9月30日
徳島新聞社 主催
第412回(2009年 9月)読者の写真コンクール入賞作品
応募総数 196点
佳 作 作 品
画 題 「郷 愁」
感想、だんじりの前で美波町阿部の地域に伝わる伊勢節を
歌っている姿が懐かしく帰郷を感じました。
阿部浦は〜海岸通りの一つの小浦ら〜うしろは高山前は海〜
宮内神社や水大師〜沖にとぼとぼはなれ岩・・・・祭り唄の一つ
阿部とは水岸の集落と意味があり、830年も前から人が住み
源平時代には豪族が南北朝時代には海賊取締りの為、都から
貴族が・・・・
江戸時代には阿波藩ののろし台の為に武家が統治していたと
言われ明治から大正にかけては「阿部のいただきさん」として
有名な行商で大きな富と情報を持ち帰りました。
(解像度1920×1080追加しました)
宮内神社の秋祭りは全国に散らばった村人が年に一度打ち
揃い休養の為に祭りを楽しんだものと思われ、現在の御神興も
明治40年頃に作られたものです。
その後は遠洋漁業のマグロ景気、昭和40年代のアワビ景気と
続き村は活況を続けて来ました。
陸の孤島であった阿部にも昭和32年12月の道路開通のうれしい
ニュースと共に人口の流出が始まり、昭和18年頃にピークであった
小中学校も今年は在校生一名のところまで落ち、来年の3月には
休校の予定となってしまいました。
数年前より住民の中より地域活性化の気運が高まり、手さぐりの
活動を続けています。秋祭りもその一環で「阿部に継がる人達」を
氏神さんのもとに集め活性化の一環を担わんとするもので
今回、昔しの勢いを取戻しつつある阿部地区の皆様を宮内神社の
秋祭りで紹介するものであります。
ご感想・意見をおよせください、お待ちしております。
徳島県海部郡美波町阿部76番地
宮 内 神 社 総代 瀬戸 興宣
〒779-2106 tel 0884-78-0016